思い出日記

毒親 元クリスチャン 元精神科看護師 

純愛

かれこれ四十年前の話

当時私は精神科でバイトをしていた。入院中の老婦人によく面会があった。面会とか珍しい時代 いつもペアで面会 一人は老婦人の娘とのこと もう一人の男性はよく解らない。老婦人が何故入院していたか 初めての出産後精神症状が活発になり自宅ではてに終えなく精神科に入院させられたらしい

今でこそ 産後なんとかって理解があり療養させ治るものだか その時代偏見しかない時代 老婦人はそのまま入院

縁を切られた。その時の娘が適齢期を迎え結婚をしたい相手が共に来ていた男性

だが男性の家は名家だったらしく結婚は反対され別れさせられた といっても水面下で二人はずっと愛を育んで男性も娘もほかの人との結婚はせず歳を重ねていた。月日は流れ男性の親たちも介護の必要な歳に差し掛かりようやく結婚を認めた。介護要因なんだろうね だけど二人は喜んで老婦人に結婚を認められたと伝えにきた。老婦人も短時間で症状は消えていたが その頃は精神病は忌み嫌われるていたから帰る(退院)するとこもなく入院したまま過ごしていた。

二人の愛に感動したのをよくよく覚えている。約30年 本物の愛 素敵だ。

私は偽善者              我が子の病の前で

うちの子の異変に気がついたのは産後まもなくだった。とにかくよく泣くいつも機嫌が悪い いい時がない それでも初めての子育て育児本は読み漁っていたが たぶんこんなもん 幸い低体重だったため保健婦さんの家庭訪問を待った。産婦人科では問題ないあなたが神経質なだけとか言われてたから

でも保健婦さんも私が神経質なと決めつけ終わった。でもねなんかおかしいのよ 産後初めての診察があったたそれに期待した。きっと原因が解るはず

だけど診察で唯一言われてたのはヘルニアの診断 今は様子みで 次の検診は と続いたのを遮り ヘルニアがとても心配 必死の演技 この地域にある小児病院へ連れていきたかったからね 無理やり紹介状もらって 小児病院での診察 納得のいく病名もらえたよ 即入院 即手術 難病だった珍しいヤツ 食い下がって良かった だけどここからが戦いの始まり 治療は確立されているが助かる見込みは一握り

それに唯一の希望をおいた。一年に数回めの手術 まだ一歳もなってない。君はこのまま死んでいくのかい?お母さん頑張るから助かるんだよ なんて 退院してお世話してお金もかかって体力も無くなり もう精も根も尽き果てて眠った時 私は夢を見た 子供の葬儀の夢を 夢の中で私は大きな声で泣いている 辛すぎて目蒲覚めた でも しばらくして夢の中をもう一度思い出したら 私子供そっちのけで一人ど真ん中で泣いてんの ハッとしたね 私は私が悲しみたくないから子供のためと言いながら頑張っていたんだ そうだポジションを代えなければ 私は私のために頑張る 自分が悲しみたくないから頑張るってね それからも大変だったが生死をさ迷い生をもぎ取り帰ってきた我が子

一生通院は免れない 内部障害ありで生きてく我が子

 そんなん我が子ももうしっかりおじさんやってます。 そんな事あったなぁ 昔を思い出す

シニアなぼやきでした。🤣

甲状腺機能低下で抑うつ症状

歳は五十手前の時 なんとなく食欲もなくだるく寝た気がしない そんな気分から始まった。仕事も忙しく子供も手はかからないものの色々気にすることもあり家事も一人で担ってたから 病気かな?クリニックを四件まわった。血液検査異状なし 更年期障害でしょう。まぁ、四件回ってそうなら更年期なのかなぁて でも症状は段々惨くなっていく

抑うつ気分も出て 困った なんだか死にたくなったのよ でも更年期更年期と言い聞かせ 死にたくなる気持ちをもて余していた。そんな時同僚が

「なんか辛そうどしたん?話し聞くよ?」

私は一気に今までの経緯を話していた。同僚

「それ甲状腺低下しゃない?内分泌に受診したら?」

そう甲状腺線低下の検査は普通の検査外の検査項目 医者が甲状腺を疑わないとしない検査

そういえばされてなかった検査 早速受診 大当たりの低下症 薬を飲みだしたらしばらくして嘘のように症状が消えた もちろん死にたくなった気持ちも消えた。

私はふと思ったよ あん時助言をしてくれる人がいたから楽になったけど もし更年期を信じて苦しいのを耐えていて 辛さに飲み込まれる人もいるんじゃないか?怖って

あと検査して更年期て言った4件のクリニックに甲状腺低下症状でしたと喧嘩売りに行ったさ 三件は誤魔化して一件だけ大変申し訳ないありませんでしたと謝ってくれた。

でも 抑うつ症状 体験したから言える 治るんだからね。