思い出日記

毒親 元クリスチャン 元精神科看護師 

精神科 パート④

精神科の患者のさんの中にも色んな宗教を信じて居る人達が入院してくる。その為担当した患者の宗教がどんなことを避けているのか また大事にしているのか 私は自身がしんじていたのもあり担当を大事にも快復の助けになるのからと他宗教を学んでみた。新興宗教の人ほど制約や自己肯定感が低く感じた。低くされるんだろうなぁキリスト教も罪人罪人とよく言われる。私もこの言葉に長く苦しかった。産まれてこなければ良かったと思っているのに罪人とか言われると自身の命が無かった方が良かったのでは?なんて まぁだからイエス様が十字架にかかって…となり畏敬の念を植え付けやすいのだろう。あるクリスチャンのご子息が統合失調症になった時の話し

学生で症状が活発になり担任の先生を暴行警察に連れていかれ措置入院となる 先生も病気ならと暴行については咎めなかった。

病院でもひとしきら暴れ隔離部屋 拘束処置となった。そこでクリスチャンの母親弾けてしまった。うちの子が何で隔離?なんで拘束?抗議の荒し 拘束は自傷他害の恐れありの名のもと行われる 実際他害してるし 落ち着くまで一般病棟には置いとけないし 挙げ句仕事で拘束をしてきた私に人でなしと噛みつかれたことがある。拘束に関しては他のクリスチャンにも言われた非人情ってね

幸いその子は措置で速く治療に乗れた分予後もよく学生にも戻れ社会人として頑張っている。他にも連れて帰り宗教の先生に祈ってもらうから これを飲めばと炭を飲ませる家族や色々だった。

精神科 パート②

精神科二件目の職場の時 私の信仰はまだまだ、認められず自称隠れクリスチャンで居るとき カトリックだけど有名な修道女の人が、テレビで話をすると知り ここにいる人にキリスト教を伝えくる 嬉しくて声かけられる患者に声をかけ一緒にテレビを見ることに 今苦しんどる人に愛を 浅はかだった

テレビが始まりワクワクして聞いていた。 内容は神様が今与えらた場所で感謝して生きなさい だった どうにかならないかともがいている患者さんにとって惨い言葉 聖書の言葉は愛を運んでくれると信じていたのに みんなだからなに?席を立つ人も でも良く考えたら 聖書の例えには一生乞食がいたり 真面目に生きててもクリスチャンの男がその妻欲しさに真面目な夫を殺しても殺した方が神様に選ばれた人だから立派なクリスチャだとたたえられたり あの一冊に腑に落ちない箇所が目に着いてきた。

あと悪いことはサタン良いことは神様の恵みの単純な方程式 あー試練と言う言葉良く使われる

きっとあなたを鍛えてくれているのよ だから感謝してなんてことも言われていた。きっと私はまだまだ修行が足りんのだ と自分を誤魔化すのに必死だった気がする。

職場復帰 精神科①

子供を二人成人させるために必要なお金は私が働かないと無理みたい 幸い手に職があったので私は精神科の看護師(准)に戻る職場に決めた。決めた理由 定時で帰れそうだったから

最初精神科と言っても急性期から慢性期色々あり私は最初慢性期の職場かはスタートした

まだ統合失調症が分裂病と言われた時代 その頃はまだまだ精神科医学は進んでおらす治療と言っても生活療法みたいな 朝起きて調子のいい患者は外に働きに行ったらそうでない人でも病院の掃除給食の食事を作り方それも難しい人には作業と言って内職を請け負い皆でやっていた 何故働かせた?と思われるだろう 当初精神で入院すても家族が抱え込み入院費は払えるが本人こ持つお小遣いがほぼない

でもさ働く事で現実とも繋がって お小遣いでも好きなものも買え私はなかなかいい 今て言うWin-Winと感じてた また良く散歩も行ったよ 季節を感じ帰ったら疲れる 自然の睡眠薬だったよ イベントも良くやった 他の精神科病院合同野球大会ゲーム大会等々 夏は夏祭り秋はバーベキュー 冬はクリスマス会やカラオケ 大抵月一でなにかやってた。また入院しながらも地域のゲートボールのテームに入って大会に出たりもしていた ただ破瓜(はか)型今は解体型とも言う そんな人達はちは本人が安全に暮らせるように色々気をつけて過ごしてもらってた。、この頃を知るか患者は必ず言う あの頃が良かったて 何故か?後に厚生省だったかが精神科の患者の処遇改善なるものを押し付けてきて入院生活がガラリと変わった。