思い出日記

毒親 元クリスチャン 元精神科看護師 

信仰

近場のキリスト教プロテスタント教会の洗礼コースを一年位受けそれじゃ洗礼となった時 教会から家族の同意をもらってきてくださいて言われ夫に求めた同意 でもダメだった 真っ向からの大反対 それを教会に報告すると洗礼は受けさせられないと言われる ショックで その教会に行かなくなったよ もう洗礼とか受けなくてもいいかーて 一旦は諦めた 二年ほどたったとき ドイツから来ている宣教師が英語を子供に教えてるクラスやっていると知り子供を通わせる事にした そこで色々話したら宣教師は貴女とご主人は別人格貴女が受けたいのなら授けますよ?と打診され即効 内緒で受けてそれから隠れクリスチャンの道を歩み始めた。でも反対されてるからどこかの教会に籍を置くことは出来ず日曜の礼拝も夫がいない時にこっそり行く 平日にやっている教会のイベント?に参加する解んないことはネットで調べる でもそのお陰で色んな宗派の考え方を学べた、聖書も長く多岐にわたり解釈は様々 あと クリスチャンでもね色々あって片親のクリスチャンはカタクリ

私みたいなのは野良クリ 毎週大手を降って礼拝に行けるクリスチャンが立派なクリスチャンと言われるんだ

もうね この辺からはてなマークが付き はじめていたかも (-∀-) それでも子供は神様からの恵みの、宝物と知り 子供を、過度に怒ったり手を上げる事は少なくなった。

子供育てから宗教

数年後私は男の子と女の子を授かった 右も左もわからない東京 でも人に恵まれ必死に子育てをしていたが

子供が大きくなるにつれ イヤイヤ期やイタズラを 普通に注意をすればいいものをヒステリックに怒った 手をあげたり お子供の成長が喜べなかったり 自分でもわかっていたんだ でも自制が効かない どうしていいかわからない 今なら解る 毒親育ちの弊害だったと

でもそれが解ってもどうにもならなかったと思う そんな中 知り合いに星野富弘さんの絵本をもらった首から下が動かないから口で絵筆を持ち自然な草花お描きそれに詩を添えている それが胸に突き刺さった こんなにどうにもならない現実を何故穏やかに受け止め感謝まで出来る?何故かとても羨ましく一気に虜にって言った 彼がクリスチャンであることが自分を変えられるポイントなのかな?と聖書なるものを取り敢えず全部読んで教会に行ってみよう 目標1日五ページ 二年計画だったか?終わりの時は以外と早く一年位で読み終わった。さてこれから教会に行ってみよう。私の染み付いた悲しみが取れるといいなぁ

結婚

二度目の家を出て2ヶ所目の職場 高校卒業を目指し今度は通信制の学校へ 通信の分仕事終わり家でレポートを書いて日曜にスクリーニングに出て三年この時点で卒業単位は全て終わって4年はゆっくり出来るあと卒業を待つだけ あの時期は本当に嬉しかった楽しかった 夢に向かってこのまま でもある日の夜の一本の電話 クズから お見合いしろ だだそれだけ イヤイヤイヤ そんな無理と電話を切ったものの どうしよう どうしよう このままでは終わらない 結局二度目の電話 再度断ったら 電話の向こうで 始まったよいつものパターン 「お前の育て方が悪いから俺の言う事を聞かない がチャーン」あ 殴られた

と同時に電話が切れた。 もうさ 生きた心地しなかった 翌日母の安否を確認し見合いを承諾 断る自由などない そのまま結婚 どうもお酒の席で娘をやると話は着いていたらしい 

慣れ親しんだ土地を離れて東京へ

その頃はもう 全ても諦めて生きる事にした。あのクズが生きてる以上 望むのはいけないことと腹をくくった。 

右も左もわからない東京 田舎者でバスの乗り方もわからず家のことをしていた。夫は 女は家の事をして子供を育てその中に喜びを見いだし それ以上は考えるな 友達がほしい?そんなもの作らなくていい

流石クズが選んだ人 類ともだったよ 門限は夜の7時 夫は男は結婚しても外では独身 ひたすら家で待つだけ でも逆らえば母が もうね みんな死んじゃえて思ってた。