思い出日記

毒親 元クリスチャン 元精神科看護師 

再び一人

結局実家から飛行機の距離に新しい職場&寮付き その辺では街中の真新しクリニックに、勤め始めた。

大きな病院ではいらない准看もクリニックなどては重宝される 安い給料でこき使えるからね そこは訳あって一年位しか勤めなかったが でもトラブルも多いクリニックだったよ その中でも一番印象に残ったのは 逆誤診?だった。

先生は中年の男性 そんなに名医には見えなかったなぁ

ある日 近所の旦那て感じのおじさんが胃の調子が悪いと受診した。バリウム飲んで 写真が出来上がり先生が うんーん なんか渋い顔 患者を電話で呼び出した。

写真を見ながら ほんの小さな小さな影が映っている

言われて初めての気がつく感じの影 でも先生は確信していた 初期の癌 これ以上検査するより手術して取りましょう 今なら治る

はっきりと告げた

患者困惑 家族と相談してきます。まぁそうだろう

だけどそのあとその人はいっこうにクリニックへ来ることはなかった。しばらくしやけにクリニックが暇になってきた

新しいとはいえそんなことあるの?結構街中なのに?原因はすぐにわかった 先日の患者が、ここはやぶ 癌にされそうになった 訴える準備をしていると近所や通院患者に触れ回っていた。

あの後 セカンドオビニオンに大学病院を訪れたとのこと そこでただの胃炎と診断されたとの事 それで、一気にやぶ医者認定 3ヶ月4ヶ月患者が来ない 閑古鳥も疲れて鳴けなくなるほど暇だった 職員も身の振り方を真剣に考え出した頃 あの患者が亡くなったと知らせが入った。 やはり癌だったのだと胃炎の治療で良くなった気がしてた患者が再度大学病院を訪れたときは手が付けられないステージ4 若い分進行は速い

その人の葬儀の後から患者が戻ってきた あの時手術していれば 今でこそ高度な検査器具 写りのいいレントゲン CTやMRIもあるけど医者の直感?腕?経験?医療は信頼関係 この件で運命には逆らえないみたいなものを垣間見た気がした。

帰郷

過労で倒れ体力もがた落ち 気力も失せて学校も続かず 孤独にさいなまれ ふと

母の元に帰ろう 帰ってもいいよね

電話をしたら帰ってもいいと

父は相変わらずだけど帰ってもいいと

嬉しかったなぁ 両親は遠い田舎に引っ越していた。生まれ故郷らしかった。いてもたっても居られずすぐに田舎に帰る準備をし実行した。帰って与えられた部屋は三畳の物置だった所。それでも家族ごっこが出来ると淡い期待は儚く消えるのにそんなに時間は要らなかった。相変わらずのクズっぶりを見せてもらったよ でも私もきっちり反撃する生意気な娘になってた

良かれと思い立ち向かっているつもりだった

そんなぎくしゃくした時を一年過ごした頃 母から 出ていってくれないか お前がいるとクズとの間に挟まれて私が辛いと

もうね  完璧に一人になったなと 元の県に職場を探しもちろん寮つき 逃げるように家を出た 原因?血だな

半分入ってるクズの血 反りが合うはずがない 仕方ないね 諦めの境地を極めた19の春 桜なんか見たくもなかった。

定時制高校入学

しばらく放心状態だったが仕事が現実に引き戻してくれたよ でも働いてると高看と准看の越えれない壁に気がついた。ふと高看の資格も取れたらもっと強い糧になる 駄目で元々やってみよう 怖いもの知らす 今なら笑える

高看への道は2つ昼間の学校に行くか夜間にするか 「その頃は夜間の学校がありました。」そして中卒の准看は実務経験二年?だか三年だかないと受ける資格がない あと夜間に行きだしたら二年分の生活費を貯めとかないとバイト位しか出来なくなるから大変らしい でも試験に受からなければ叶わぬ夢だったら実務経験の時に夜間の高校に行けば少しは役に立つんじゃね 後 准看持ってたら夜間の高校二年に編入出来るらしく編入用に勉強を見てくれる人もいて無事二年からのスタートを切りました。職場は三交代日勤 準夜出来なくなって深夜だけの勤務を週に4~5日 昼間は寝て夕方学校帰って仕事 そんな生活を半年続けたが流石に身体か根をあげた 倒れちゃって食べれなくなって自身の病院に入院 でも洗濯なんか手荒いしてたなぁ 病名 過労 そんな18の秋 私の定時制高校生活は終わった。働きすぎると倒れる

まぁダメ元でスタートに戻っただけか

てもかなり臆病になった

秋の夜長にさめざめ泣いた悔しかった思い出ね